若狭の六斎念仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 04:00 UTC 版)
若狭町瓜生は六斎の里と称されるように、現在最も六斎念仏が分布している地域が若狭地方である。 若狭地域全体での分布は、現行のものだけでも27カ所存在し、若狭町、小浜市、おおい町、高浜町に伝わる。また、その形態も「シヘン」「ハクマイ」などの念仏曲から「融通和讃」太鼓念仏、芸能的な色彩を多分に伝えるものなど、非常にバラエティ豊かな演目を伝える。また、神楽の影響と言われるが、面を用いたり、笛を演奏に取り入れるものも存在するため、後述の京都の芸能六斎の展開を考えるうえでも重要な地域である。 この地域の六斎念仏は、京都干菜寺との関係が指摘されており、干菜寺『六斎支配村方控牒』の宝暦五年の九月二十五日付の記載には「小浜柳町かけのわき町、若狭願勝寺支配下講中、三十六ヶ所」とみえ、干菜寺配下の願勝寺を中心に六斎念仏が組織されていたようである。2015年(平成27年)4月24日、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 - 御食国(みけつくに)若狭と鯖街道 - 」の構成文化財として日本遺産に認定される。 現在ほとんどが曹洞宗の檀徒によって構成される。
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