花街との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/02 18:57 UTC 版)
西陣京極は花街ではない。千本通西側に江戸時代もしくはそれ以前から存在した上七軒あるいは五番町(西陣新地)がその役割を担い、西陣京極は健全な興行街として発展した。五番町の花街は、1958年(昭和33年)3月15日、売春防止法施行により廃止され、五番町の花街組合事務所の跡地には東宝映画の封切館「五番街東宝」(現在の千本日活)が建てられた。このことにより、従来の花街がなくなり、五番町に一般的な映画館が生まれる一方、1959年(昭和34年)には、西陣京極の芝居小屋を源流とする映画館であった千中劇場が「千中ミュージック」というストリップ劇場に業態を変更するといった現象が起きた。1970年代以降に残った映画館である西陣キネマ、西陣大映は、五番町の千本日活とともにいずれも成人映画館に転換している。 「上七軒」および「五番町 (京都市)」を参照
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