航空自衛隊入隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 06:01 UTC 版)
1945年(昭和20年)秋、敗戦・陸軍の解体により郷里に帰り農業に従事。田畑を耕し馬を飼ったが、食糧難時代で体も痩せ細った。闇商売、行商、サルベージ業など様々な商売を手がけて失敗が続き、莫大な借金を背負い、昭和27、28年ごろは精神的には平然を装っても日々の食べ物にこと欠くどん底状態に陥った。その後、上京し民間の富士航空を経て航空自衛隊に入隊する。ジェット戦闘機の搭乗員として空を飛ぶ生活に戻ることができ、生き生きとした状態を取り戻したという。 航空自衛隊では1年間イギリス空軍への留学に派遣され、必死に勉強したと伝えられる。帰国後はジェット戦闘機隊の指揮官などを経て、石川県小松基地の第6航空団司令に就任した。1965年(昭和40年)12月5日、旧軍の少将の地位に当たる空将補まで登りつめ、次世代の空将と目されていた第6航空団司令在任中、妻が止めたにもかかわらず悪天候の中を福井県の越前海岸に磯釣りに出かけ、高波に飲まれ水死した。12月7日の部隊葬では軍歌として知られる飛行第64戦隊歌で送られた。
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