自自公連立から加藤の乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 18:36 UTC 版)
1999年、小渕執行部において主流派に属していた加藤派は自自公連立政権に反対の姿勢をとり、反主流派となっていた河野グループが自自公連立を容認するという逆転現象が起こる。その後の総裁選では小渕の無投票再選が濃厚だったが、加藤は山崎と共に出馬し惨敗。小渕は河野を外務大臣に起用する報復人事を行った。 2000年11月、小渕の病気辞任により首相に就任した森喜朗の内閣総理大臣としての資質や、森政権樹立のために暗躍したいわゆる「五人組(森、青木幹雄、野中広務、村上正邦、亀井静香)」の行動に、加藤が山崎と共に反発。野党提出の森内閣不信任決議案に賛同する動きを見せるが、結局党執行部の党内工作で不信任案は否決される。結果加藤派は分裂した。これにより加藤-古賀間でのKK戦争は終結を迎えた。 不信任案賛成(大多数は決議欠席を選んだ)→小里派→谷垣派原田昇左右、谷垣禎一、川崎二郎、逢沢一郎、杉山憲夫、園田博之など 不信任案反対→加藤派を離脱し堀内派結成→丹羽・古賀派→古賀派池田行彦、古賀誠、丹羽雄哉、堀内光雄など
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