臣との関係の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/27 13:37 UTC 版)
『春秋左氏伝』昭公13年の記述として、「臣一君二」(臣は1人だが、君主は2人)といった言葉があり、臣は君と合わなければ、そこを去り、別(2人目)の君主を求めるという意味である。後世、日本戦国期においても、藤堂高虎といった武将は、「七度主君を変えねば、武士とはいえぬ」(藤堂高虎を参照)と言葉を残しており、必ずしも一君にのみ忠誠を誓う関係ではなかった。一方で、後漢の張任は「老臣は決して二君に仕えるつもりはない」(『三国志』)という言葉を残し、中世の『吾妻鏡』にも「忠臣二君に仕えずというが」とも記述されている。近世では、儒学の影響から幕末には一君万民論もとなえられた。
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