臘扇時代
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1898年、宗門よりの除名を解かれた。彼は保守勢力からの独立を強く求め、その目玉として、京都にあった、真宗大学の東京移転があった。1899年9月に東京本郷森川の近角常観留守宅にて私塾浩々洞を開き、多田鼎、佐々木月樵、暁烏敏ら多くの真宗学者、仏教学者を輩出する。1901年、浩々洞にて雑誌『精神界』を創刊。同年、東本願寺が東京巣鴨に開校した真宗大学(後に、高倉大学寮と併合、京都に移されて真宗大谷大学と改称、現、大谷大学)の学監に就任するも、翌年辞任。
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