脱出とその後の人生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:08 UTC 版)
夫婦はついに1986年3月15日、オーストリアのウィーンを旅行中に逃亡を敢行、アメリカ大使館に駆け込んだ。脱出直前まで2人とタクシーに同乗していたのは、インタビューの予定が入っていた共同通信社論説委員の榎彰であった。大使館のアメリカ人職員は薔薇の花一輪を崔銀姫に差し出し、"Welcome to the West" と言った。2人は政治亡命を申し出た。 彼らは1999年に韓国に帰国するまでの間、アメリカ合衆国バージニア州のレストン、次いでカリフォルニア州のビバリーヒルズで生活した。韓国に帰国した後、崔銀姫は日本政府の求めに応じ、北朝鮮の拉致工作機関の実態などについて証言をしている。申相玉は2006年に亡くなるが、そのときまで2人の結婚生活は続いたのだった。 2018年4月16日、崔銀姫はその日の午後に腎臓透析を受ける予定だった病院で亡くなった。91歳。彼女を最後に看取ったのは、養子の申正均であった。彼女の死は、韓国全土に広汎な喪をもたらした。
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