脱出とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 04:43 UTC 版)
「1907年チフリス銀行強盗事件」の記事における「脱出とその後」の解説
大金を手に入れたカモは、馬車に乗ってすぐさま広場を離れた。途中で警察の馬車に遭遇したが、彼は騎兵大尉のふりをしてこう叫んだ。「金は無事だ。広場に急げ」。馬車に乗った副官は素直に従い、その場しのぎの嘘に騙されたことを知るのは事件の片がついてからのことであった。カモはアジトまで馬車で行くと、そこで変装を解いた。強盗団たちはあっという間に方々に散らばり、捕まった者はいなかった。 強盗団の1人、エリソ・ロミナージェ(Eliso Lominadze)は教師の制服を盗んで変装し、死屍累々となった広場に戻っている。人馬の死骸が横たわるなか、広場にはおよそ50人の怪我人が倒れていた。当局は死亡者は3名だけであったと発表したが、オフラナの記録文書を当たると実際には40人前後が亡くなっていることが明らかになった。 国立銀行の損失は正確にはわからないが、最も確からしいと考えられる数字の1つが341,000ルーブリであり、これは2008年の時点の340万ドル前後に相当する。およそ91,000ルーブリが追跡の不可能な小額紙幣であったが、残りは高額の500ルーブリ紙幣であり、当局が通し番号を把握していたため換金は困難であった。
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