脇坂淡路守が吉良を殴打
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)
殿中刃傷があった直後、播磨龍野藩主脇坂安照が隣藩の藩主である浅野長矩の無念を思いやって抱きかかえられて運ばれる吉良義央とわざとぶつかり、吉良の血で大紋の家紋を汚すと、それを理由にして「無礼者」と吉良を殴りつける。諸大夫の五位が四品の高家に暴行に及んだ咎で脇坂は老中に罰せられ、赤穂城は与えられる可能性のあった脇坂家でなく永井家のものとなる。 この話1912年の浪曲の筆記本に見えるが、史実としての確認はできず、伝承・巷談の域を出ない。 なお、史実において脇坂安照は赤穂城受け取りの時の正使であった。
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