背景とパールスの国家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 01:09 UTC 版)
イラン高原南西部の地域であるパールス(ペルシスとも呼ばれる)は、イランの民族であるペルシア人の南西方面における故地であった。また、最初のペルシア人の帝国であるアケメネス朝の発祥地でもあった。この地域は、マケドニア王のアレキサンダー大王(在位:紀元前336年 - 紀元前323年)によって征服されるまで帝国の中心地として機能していた。紀元前3世紀末または紀元前2世紀初頭以来、パールスはセレウコス朝の支配下にある地方王権に統治されていた。これらの統治者達は、古代ペルシア語でフラタラカ(英語版)(指導者、総督、先駆者など様々に解釈されている)と呼ばれる称号を持っていた。この称号はアケメネス朝時代にも存在が確認されている。後にフラタラカのワードフラダード2世(英語版)(在位:紀元前138年以降)の下で、アルサケス朝パルティアの臣下となった。フラタラカはその後すぐにペルシス王(英語版)に置き換えられたが、この出来事はパルティア王プラアテス2世(在位:紀元前132年 - 紀元前127年)の即位時に起こった可能性が最も高い。フラタラカとは異なり、ペルシス王はシャー(王)の称号を使用し、おそらくダーラーヤーン朝の名で呼ばれていた新しい王朝の基礎を築いた。
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