職家の固定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 07:31 UTC 版)
宝暦8年(1758年)に行なわれた宗旦・百年忌の茶会の最終回には、樂吉左衛門、中村宗哲、土田友湖、竹屋・元斎、釜師・大西清右衛門、指物師・駒沢利斎、柄杓師・黒田正玄、鋳師・中川浄益、大工・善兵衛、表具師・奥村吉兵衛の十名の職方が招かれている(現在と比べ、飛来一閑と善五郎の代わりに竹屋・元斎と大工・善兵衛がいる)。これは千家に出入りする職家が十家になっている最古の記録の一つだが、この時期の飛来家は代替わりなどの時期にあるなど、江戸時代を通じてその数は八家から十二家で変動していた。なお、この他にも出入りはしていないが道具を納めていた職家が二十家以上あったといわれる。 一方で、伝統的な形式を踏まえた茶道具の制作や三千家の年中行事、年忌などでの役割を果たすため、徐々に出入りの職方は固定されていった。天保11年(1840年)の利休・二百五十年忌の頃には、駒沢利斎、大西清右衛門、西村善五郎、樂吉左衛門、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、土田友湖、中川浄益、塗師・余三右衛門が千家出入りの職方となっており、ほぼ現在と同様の顔ぶれである。唯一名前のない中村宗哲に関しては、六代の喪中にあったためと思われる。このような経緯を経て、職方が現在の千家十職にまとまっていったのである。
※この「職家の固定」の解説は、「千家十職」の解説の一部です。
「職家の固定」を含む「千家十職」の記事については、「千家十職」の概要を参照ください。
- 職家の固定のページへのリンク