聖プロコピウスのバシリカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/22 07:32 UTC 版)
「トシェビーチのユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカ」の記事における「聖プロコピウスのバシリカ」の解説
聖プロコピウスのバシリカ(聖プロコプ教会)は13世紀に建設された。 もともとはベネディクト会修道院の附属聖堂であり、かつては聖マリア大聖堂と呼ばれていた。しかし、1468年のハンガリー軍の侵攻によって修道院とバシリカは破壊された。バシリカは再建されたものの、16世紀に城として再建された修道院ともども、宗教的な機能を喪失することとなった。もともとのバシリカはロマネスク様式で、フランス、ドイツなどの影響を受けた初期ゴシック建築の要素が混じっていたが、18世紀にマキシミリアン・カニュカ(英語版)の改修を経て、バロック建築の要素も加わった。 世界遺産構成資産としての「聖プロコピウスのバシリカ」(St Procopius’ Basilica, ID1078-003) の面積は1.08 ヘクタールである。世界遺産の構成資産としての聖プロコピウスのバシリカは、「ユダヤ人集落建設の動機付けとなった文化的・経済的文脈を代表する」ものと位置づけられている。
※この「聖プロコピウスのバシリカ」の解説は、「トシェビーチのユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカ」の解説の一部です。
「聖プロコピウスのバシリカ」を含む「トシェビーチのユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカ」の記事については、「トシェビーチのユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカ」の概要を参照ください。
- 聖プロコピウスのバシリカのページへのリンク