考古学による検証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/07 06:32 UTC 版)
モアブ人の存在は多数の考古学調査の結果によって証明されている。モアブ人は鉄器時代にはカラク地域に王国を築いており、同地域がイスラム教の影響下に置かれる前には「モアブ」と呼ばれていたことも突き止められている。カラク高原地域に存在するBalu'a等の鉄器時代の集落遺跡が、モアブ王国の集落であったと考えられている。また、ヨルダン川東岸の地域、つまりアルノン川より北の地域のうちヨルダン川を西の境界としヤボク川を東の境界とする地域については、「モアブの野」「モアブの平野」などと表現される。この地域はかつてアンモン人の支配下にあり、後にアモリ人の支配下に移ったとされる。 モアブ人の実在を証明する最大の証拠は、メシャ王の時代に作成されたとされるメシャ碑文で、紀元前850年の「イスラエルの王オムリ」に対するモアブ人の勝利が記され、モアブの主神ケモシュが称えられている。メシャ碑文に加えて、1958年にはヨルダン南部の都市カラクでモアブ文字で書かれた碑文の断片が発見されている(カラク碑文)。この碑文にもモアブの主神ケモシュの神殿に関する言及がある。カラクは聖書のキル・ヘレス(Kir Heres)であるとされるが、ここがモアブの首府であったとする説もある。カラク碑文は現在、カラク考古博物館(カラク城内)に展示されている。
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