翻訳者・詩人として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 07:50 UTC 版)
「パレルモのエウゲニウス」の記事における「翻訳者・詩人として」の解説
エウゲニウスは、翻訳者や詩人としても活躍し、1154年から1169年にかけてパレルモで起こった出来事を記録した年代記作家Hugo Falcandus(英語版)の筆名の由来になったとも言われている。エウゲニウスは、このような年代記の作者とするには確かに適切な人物であった。 またエウゲニウスは、1154年頃、プトレマイオスの『光学』をアラビア語からラテン語に翻訳し、20冊の写本が残っている。 さらに、Sibylline Erythraeon(英語版)をギリシャ語からラテン語に翻訳したが、その写本はフィオーレのヨアキムの予言をもとにした13世紀のものしか残っていない。14世紀の写本には24編の詩が残っているが、コンスタンティノープルで流行っていたスタイルで書かれた平凡なものだった。また、ドイツで投獄されたことを嘆き、それを世界の悪しき状況のせいにしながらも、自分の問題を哲学的に捉えた詩も書いている。
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