翡翠文化とその再発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:41 UTC 版)
翡翠を利用する文化は、日本・朝鮮半島・中国そしてメソアメリカでみられる。日本での利用例は、約7000年前の縄文時代前期後葉までさかのぼることができ、これは世界的にみても最古のものである。 縄文時代後期中葉(約4000年前)には、翡翠製の勾玉が出現した。勾玉は弥生時代から古墳時代にかけて多く作られ、糸魚川を中心にした翡翠の文化が日本のほぼ全域だけではなく日本海を越えて朝鮮半島にまで広がった。 しかし日本における翡翠の文化は、奈良時代に終焉を迎えた。歴史の表舞台から消えた日本産の翡翠が再発見されたのは、1935年のことであった。 『万葉翡翠』の大詰めで舞台となった小滝川の翡翠集積地は、1956年6月29日に国の天然記念物「小滝川硬玉産地」となっている。その後の研究により、日本で縄文時代以来利用されてきた翡翠のすべては糸魚川産であることが定説となった。
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