美和土生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/08 12:06 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動美和 土生(みわ の はぶ)は、奈良時代の皇族・貴族。太政大臣・高市皇子の孫か。氏は神、名は壬生とも記される。官位は従五位上・駿河守。
経歴
孝謙朝の天平勝宝3年(751年)兄弟と思しき岡屋王と共に美和真人姓を与えられて臣籍降下する。
天平宝字8年(764年)2月に従五位下に叙爵し、同年発生した藤原仲麻呂の乱終結後に摂津亮に任ぜられる。称徳朝から光仁朝前半の約10年に亘って主殿頭を務め、光仁朝では伊勢介・丹波員外介など近国の国司を兼ねると共に、宝亀4年(773年)従五位上に叙せられている。
光仁朝後半の宝亀8年(777年)員外左少弁次いで右少弁と弁官に遷るが、翌宝亀9年(778年)には駿河守として地方官に転じた。
官歴
『続日本紀』による。
- 天平勝宝3年(751年) 正月27日:臣籍降下(美和真人)
- 時期不詳:正六位上
- 天平宝字8年(764年) 2月23日:従五位下。10月9日:摂津亮
- 時期不詳:主殿頭
- 神護景雲元年(767年) 7月3日:兼豊後介
- 宝亀元年(770年) 10月23日:兼伊勢介
- 時期不詳:左少弁
- 宝亀2年(771年) 7月23日:兼但馬員外介。時期不詳:主殿頭。11月19日:兼丹波員外介
- 宝亀3年(772年) 4月27日:伊勢員外介
- 宝亀4年(773年) 正月7日:従五位上
- 宝亀8年(777年) 正月25日:散位頭。正月27日:員外左少弁。10月13日:右少弁
- 宝亀9年(778年) 2月4日:駿河守
参考文献
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