編隊長の資質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 14:02 UTC 版)
「ギュンター・シュペヒト」の記事における「編隊長の資質」の解説
II./JG 11の指揮官になるとシュペヒトは参加する全ての作戦で部隊を率い、作戦終了後にその詳細と分析を記した報告書を作成した。間もなくシュペヒトは最も信頼のおける編隊長の一人であるという評判を得て、II./JG 11は本土防衛において最良の戦闘機部隊の一つと評されるようになった。 1943年8月17日にシュペヒトは飛行隊を率いてギルゼ・エ・レイエンから迎撃に上がり、アントウェルペン近郊で第381爆撃団のボーイング B-17を発見した。オイペンで護衛戦闘機が引き返すまでの30分間攻撃を控え、続く半時間で爆撃隊の60%が撃墜された。シュペヒト自身はこの戦闘で2機を撃墜し、16と17機目の戦果を記録した。 1944年9月11日にシュペヒトとJG 11/本部飛行小隊(ドイツ語: Stabsschwarm)は、第4戦闘航空団/第II飛行隊(II./JG 4 Sturm)とIII./JG 4の混成飛行隊を率いていた。シュペヒトの手腕により飛行隊は"Bloody 100th"所属の34機のB-17に対向する位置につき、護衛のノースアメリカン P-51戦闘機が到着する前に15機のB-17が撃墜された。シュペヒトは1機のP-51を撃墜した。
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