綿貫氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 18:08 UTC 版)
『千葉縣東葛飾郡誌』の綿貫氏に関する記述の要約を示す。 野馬奉行綿貫氏は、千葉介昌胤より出た政胤が初代である、政胤は月見里(ヤマナシ)五郎と称していたが、次の政家が綿貫重右衛門と改め、野馬奉行兼牧士支配となった。中興した十二代政直夏右衛門の墓碑銘に綿貫氏の由来として、政家が4月1日、江戸表で徳川家康直々に野馬奉行兼牧士支配へ任命され、袷を着るべき時季に袷がなく、綿を抜いた綿入れを着て来たため、家康の命で、氏を綿貫と改め四月朔と号した。 政直は1845年(弘化)没であり、ワタヌキの話は後世の創作の可能性が指摘されており、上記の史実と反する「野馬奉行」の呼称も1755(宝暦5)年提出の綿貫氏『由緒書』等の影響による後世の呼称と考えられる。
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