絶滅後の空白期間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 17:36 UTC 版)
一連の騒動をはじめとし、また1820年までに音楽の流行が変化してしまったことに起因し、この楽器は、人々の目からほぼ完全に姿を消してしまった。少なくとも公の演奏では、どこにおいても見かけることはできなかった。 音楽の嗜好は、ベートーヴェンやその後継者たちによってより壮大なものへと移り変わっていき、そしてモーツァルトの時代の比較的小さな上流階級のホールよりも、より大きなホールへと演奏の場も変わっていってしまったのであった。そのような音楽的欲求の潮流の中においては、アルモニカのようなデリケートな音は好まれず、そしてもはや聞こえさえしないものであったため、要求されなくなってしまった。チェンバロもほぼ同じ時期に見られなくなったが、その理由も、当時の流行の中にあってアルモニカの衰退と同様の理由が考えられる。 影では、チェコのPohl一族が密かにこの楽器を製作していたが、それも廃れてしまい、製作の困難なこの楽器を製作する者は世界からいなくなっていた。
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