絵画との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 17:02 UTC 版)
「ジョヴァンニ・セガンティーニ」の記事における「絵画との出会い」の解説
ミラノに戻ったセガンティーニは、絵師の助手兼門弟となり、画法の手ほどきを受けた。その当時は、友人の援助を受けながら風景画などをの作品を仕上げ、愛好家に売るなどしていた。しかし生活は困窮し、橋の下で夜を過ごしたこともあった。そののちに、セガンティーニはブレラ美術学校の夜学校に進学、肖像画や劇場の小道具を描くなどして生活費を稼ぎながら絵画の勉強をした。セガンティーニの最初期の作品である『聖アントニオ合唱の間』はこの時期に描かれ、展覧会に出品されて銀賞を受けた。 しかしセガンティーニは、決まりきった画法に忠実な絵を描くことを拒み、自由な方法で創作を行った。そのため教授たちには目の敵とされ、校長に対して苦情を申し入れられた上、展覧会でセガンティーニの作品を最後に展示されたりした。自身の作品が展覧会で最後に飾られているのを見たセガンティーニは激昂し、自作を壁から下ろして破り捨て、街中に飛出して街灯に登り、街灯のガラス板を破壊した。そのためセガンティーニは、結局ブレラ美術学校を退学になった。
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