統括責任者の選定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 04:55 UTC 版)
住友本社で商事進出の構想を練っているとき、住友本社人事部は「商事部門の統括責任者となる適任候補者を至急選び出すように」との命令を受けた。しかし候補対象者は全住友幹部、住友本社、連系会社(直系)、関係会社(準直系)、特殊関係会社など、人材はキラ星のごとくいる。その中から最適の候補者を選び出すのは、気の遠くなるような作業であった。ところが、期せずして人事部内の意見はある人物の名前で一致する。住友金属工業の取締役・田路舜哉であった。田路の名前は以前から人事部で評判であった。その評価は「切れ者。筋をとおす人。怒ると怖いが、理不尽でなく、情に篤い。」というものであった。田路は住友別子鉱山時代に「別子の三羽烏」のひとりとして勇名を馳せていた。しかし、別子銅山閉山の際に、新居浜の後栄事業の対応をめぐって、田路は、住友本社の左遷人事で上海勤務となっている。人事部はこの問題を把握していたが、候補者第一号として田路を選んだ。さらに住友電気工業と満州住友金属工業の経営幹部から1名ずつを選出し、計3名の候補者を推薦した。田路に目をつけた住友人はほかにもいた。住友土地工務から日本建設産業に横すべりした竹腰健造である。竹腰も田路の人物評は耳にしていた。ただし、いい話ばかりとはかぎらない。竹腰は「乱世に新しい仕事をはじめるようとするとき、激しい気性の持ち主でないと成功しない」と考えた。実際に会ってみると聞かされていた欠点以上に、多くの優れた点がある。早速、住友各社の人事権をもつ総理事古田俊之助に田路を推薦した。古田は、日本建設産業に併設する商事部門の統括責任者に田路を指名した。
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