田路とは? わかりやすく解説

た‐みち【田路/田道】

読み方:たみち

田の間の道。あぜ道。畷(なわて)。


田路

読み方:トウジ(touji)

所在 兵庫県朝来市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒679-3442  兵庫県朝来市田路

田路

名字 読み方
田路たじ→とうじ
田路とうじ→たじ
名字辞典では、珍しい名字を中心に扱っているため、一般的な名字の読み方とは異なる場合がございます。

田路

読み方
田路たじ
田路たぢ
田路たみち
田路たろ
田路とうじ
田路とおじ

田路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/27 16:53 UTC 版)

田路 (とうじ または たじ)とは

  • 日本の地名
    • 兵庫県朝来市田路、同地区には、円山川の支流である田路川が流れる。
  • 日本ののひとつ。田路舜哉など。
    • 兵庫県に多い姓で、田路姓の7割超が同県在住者で占められているとされる。このの誕生は凡そ平安時代頃からなる。
    • 鎌倉時代には源氏に仕えた身分として最も活躍した一族として知られる。主に武士の出家が多い。2008年現在、日本全国に分布する田路姓の世帯数はわずか400世帯ほどで、その世帯数は2000年頃(8年前)の800世帯より大幅に減少しており、今もなおその数は減っていっている。
    • 同じ源氏に仕えた一族として、別の姓に天羽(あもう)姓が存在する。現在では別々になってしまったものの以前は天羽姓と田路姓は元は同じ一族で遠い親戚にあたるとされる。

田路(とうじ)氏

概要

  • 田路氏は皇族、貴族を経た兵庫県の大名の家系であり(田路大和守胤直)、田路城を含む4つの城を有していた。
  • 子孫は兵庫県を中心に現在も存続している。

系譜

  • 田路氏は正確には『桓武平氏千葉氏流田路』と言い、平安時代から現在も残る、桓武天皇を始祖とする平氏(「桓武平氏」)でもある。
    • 平氏は四流存在していたが、桓武平氏以外の平氏(平清盛など)はすでに滅亡し、途絶えている。
    • 田路氏は平安時代に桓武天皇・皇族を経て桓武平氏となり、鎌倉時代には幕府成立に貢献した功績等により鎌倉幕府筆頭御家人(桓武平氏千葉介常胤)として全国20数か所の所領を有し、室町時代以降は兵庫県(播磨但馬地方)の大名となり、現在まで存続している。
    • 桓武平氏としては他にも、北条氏、上杉氏(長尾氏)、細川氏、等がこれにあたる。

家紋、守護神、菩提寺

  • 田路氏の家紋は桓武平氏ゆかりの「九曜の紋」であり、守護神は「毘沙門天」(上杉氏と共通)。
  • 菩提寺は祥雲寺であり、田路氏の系譜図が残されている。現在の祥雲寺は田路城跡に再建されたものである。

田路氏系譜図(桓武平氏千葉氏流田路)

・桓武天皇―葛原親王―高見王―平高望―平良文―平忠頼―平忠常

―平常将―平常長―平常兼(大推権介/おおずいごんのすけ)

―(千葉)常重―常胤―胤正―成胤―胤綱―時胤―頼胤―胤宗―貞胤

―氏胤―満胤―兼胤―胤直―宣胤―清胤―胤家―繁胤―政胤

―(田路大和守)胤直―(隠岐守)胤純―(若狭守)胤親―

田路氏の主だった城(田路氏四城)
  • 田路城 :城主は田路大和守胤直。高倉山城とも呼ばれる。
  • 草置城 :1538年に田路大和守の嫡男、田路隠岐守胤純によって築城された(『播磨鑑』)。
  • 高取山城:主な城主は胤純の嫡男、田路若狭守胤親。標高608mにあり、「天空の城」とも称される。
  • 三方城 :御形城とも呼ばれる。胤純の二男、田路信濃守貞政によって築城された(戦国時代の城主は田路右馬允)。

現在

  • 2012年現在、田路氏の所領だった兵庫県宍粟市の市長は田路勝氏が務めている。
  • 2006年には、草置城跡に二重櫓が再建された。
  • 2020年には、田路氏の4つの城を巡り、お城札(御城印)を揃えると、「田路氏四城、制覇記念」の御城印が数量限定で入手できた。

主な感状・書状等

 ・文明17(1485)年4月2日『赤松政則感状』(『田路文書』:田路家所蔵)

 ・明応8(1499)年8月21日『赤松政秀入道性喜感状』(『田路文書』:田路家所蔵)

 ・天文7(1538)年9月27日『尼子晴久感状』(『田路文書』:田路家所蔵)

 ・天正8(1580)年5月13日『羽柴秀吉書状』(『田路文書』:田路家所蔵)

 ・天正10(1582)年10月7日『増田長盛書状』(『田路文書』:田路家所蔵)

 ・天正10(1582)年10月9日『羽柴秀吉領知状』(『田路文書』:田路家所蔵)

 ・天正3年(1575年)田路胤直(大和守)は丹波国赤井城城主・赤井直正が山名家の所領に侵攻してきた際、

  山名氏政(山名祐豊の子)のために出陣し、主だった者を討ち取りこれを撃退して山名家より感状を賜っている。

  (この後、田路胤直・勘四郎親子は丹波国夜久郷に赤井直正が築いた城も攻め、これを落としている。)



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