結納祝いとして尾張徳川家へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 02:07 UTC 版)
「五月雨江」の記事における「結納祝いとして尾張徳川家へ」の解説
1639年(寛永16年)に尾張徳川家2代藩主である徳川光友と家光の娘である千代姫が結納した際に、家光から光友へ本作と併せて後藤藤四郎(国宝指定)が下賜される。なお、その頃には五千貫の代付けがされていた。 1667年(寛文7年)9月26日、光友の嫡男である綱誠が中納言広幡忠幸の娘と結婚した際、江戸市谷にあった尾張藩上屋敷で祝言を挙げる際に光友から綱誠へ譲られた。また、1699年(元禄12年)6月5日に綱誠が死去したことに伴って、7月25日に綱誠の子である吉通より綱誠の遺品として徳川5代将軍である綱吉へ献上される。
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