結いの党・維新の党時代
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生活の党を経て、2013年4月、無所属となる。 2014年1月、結いの党に入党したことが報道された。同年2月9日投開票の2014年東京都知事選挙では同じく元鳩山邦夫秘書の馬渡龍治らとともに細川護煕候補の陣営で活動した。同年5月、結いの党の愛知県連絡協議会と愛知4区総支部を設立し、代表及び支部長に就任した。 同年8月12日には日本維新の会愛知県総支部(代表:重徳和彦)と合同記者会見を行い、「新党愛知県連絡会」を設置して統一地方選挙に向けて共同で公認候補者の選定等を行っていくことを発表したさらに、減税日本も含めた3党での合同街頭演説を行うなどしていたが、5月に減税日本を除名された3市議らが結いの党に入党したことなどから亀裂が生じていた関係が改善せず、減税の合流は断念された。 9月に結いの党が日本維新の会に合流し維新の党が発足すると、両党の県組織は合同して維新の党愛知県総支部を発足させ、重徳が代表に、牧は代表代行兼政調会長に就いた。同時に牧は維新の党の衆議院愛知県4区支部長に就任した。 そして12月に行われた第47回衆議院議員総選挙では小選挙区では再び自民党の工藤に敗れるが、比例復活で国政復帰(5選)。 2015年9月8日、維新の党の国会対策委員長に就任。
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