終身監督就任
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1937年(昭和12年)になり、きよめ教会の終身監督になった中田は新しき天新しき地という題の文章を機関紙新年号に載せた。新年の指針を「堅信抗魔」であるとして、その題を5回使用して語った。そして、監督令を発し、純監督政治を方針として、自らきよめ教会の終身監督になることを1月7日号の機関紙で宣言した。 きよめ教会の全国きよめ大会が、1937年4月1日より4日まで、聖書学院で開催された。この場で終身監督が確認され、倍増計画が徹底が要求された。 4月11日午後、満州人基督教各派牧師13名が、聖書学院を訪れて、開会中の聖別会に列席した。中田は彼らと語り、日本と満州が提携してリバイバルのために乗り出さなければと力説した。 6月25日に聖書学院の納屋より放火により出火して、監督局の3分の1が焼失した。
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