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細谷資氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/01 17:37 UTC 版)

細谷 ほそや 資氏 すけうじ
生誕 1858年2月12日
安政4年12月29日
江戸幕府 江戸
死没 (1944-01-02) 1944年1月2日(85歳没)
大日本帝国
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1874年 - 1907年
最終階級 海軍少将
墓所 谷中墓地
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細谷 資氏(ほそや すけうじ、1858年2月12日安政4年12月29日) - 1944年昭和19年)1月2日)は、日本海軍軍人海兵5期。最終階級は海軍少将仁川沖海戦開戦時における第三艦隊第七戦隊司令官(少将)[1]海軍砲術学校砲術練習所長。

生涯

1858年2月12日安政4年12月29日)、幕臣の細谷資重の長男として武蔵国豊島郡江戸八代洲河岸(現在の中央区八重洲)で生まれる。

日露戦争に参戦。 1918年12月29日退役した[2]

親族

妻のつやは松代藩士横田数馬の娘で、大審院長横田秀雄政治家小松謙次郎義兄にあたる。 息子の資彦(次男)、資芳(三男)は海軍軍人。

栄典・授章・授賞

位階
勲章等

艦長を務めた艦艇

脚注

  1. ^ 平塚 2009, p. 58
  2. ^ 『官報』第1930号、大正8年1月11日
  3. ^ 『官報』第929号「叙任」1886年8月5日。
  4. ^ 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日。
  5. ^ 『官報』第3783号「叙任及辞令」1896年2月12日。
  6. ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
  7. ^ 『官報』第5937号「叙任及辞令」1903年4月21日。
  8. ^ 『官報』第7107号「叙任及辞令」1907年3月12日。
  9. ^ 『官報』第2680号「叙任及辞令」1892年6月6日。
  10. ^ 『官報』第3578号「叙任及辞令」1895年6月5日。
  11. ^ 『官報』第3676号「叙任及辞令」1895年9月28日。
  12. ^ 『官報』第3889号・付録「辞令」1896年6月17日。p4
  13. ^ 『官報』第5226号「叙任及辞令」1900年12月1日。
  14. ^ 『官報』第5522号「叙任及辞令」1901年11月28日。
  15. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  16. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  17. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。p12

参考文献

関連項目

外部リンク




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