紫禁城襲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 02:39 UTC 版)
林清が紫禁城攻撃を指揮した。ただし林清個人は襲撃に加わらなかった。林清は数名の宦官を内応させ、約250名の信者が城門を通過できるよう取り計らわせた。反乱軍は目印として頭部と腰に白い布を巻いた。彼らはナイフと鉄棒で武装し、正午に衛兵が食事をしている隙に紫禁城への門を通過する計画であった。加えて嘉慶帝は城外50マイル弱の所にいた。この計画は部分的に成功を収め、門が閉じられるまでの間に約80名の反乱軍が侵入に成功した。反乱軍が城内にいることに満州族が気付くやいなや戦闘が勃発した。当時皇子であった綿寧(後の道光帝)が戦闘に参加し、マスケット銃で反乱兵1名を負傷させもう1名を殺害したのは、この時のことであった。
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