素顔の梅子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:25 UTC 版)
女子英学塾の第5回卒業生である岡村品子(明治15年〈1882年〉- 昭和59年〈1984年〉)の、昭和56年(1981年)における回想によると、塾の教壇に立つ時の梅子は基本的に和服姿(着物に袴)で、懐中時計を常に帯びていた。梅子は岡村より小柄であった。岡村は塾の寄宿生で、塾に住み込んでいる梅子と寝食を共にしていたが、教壇を降りた梅子は朗らかで良く笑う人であり、アメリカ育ちとは思えないような、日本的かつ質素な生活をしていた。雑談をするときの梅子は、本題は英語で話し、次いで日本語で説明をする、といった、英語と日本語を随時切り替える話し方をした。 古木宜志子は 華族女学校に就職してから一、二年間、梅子がおしゃれに気を使い、名士と交わり、鹿鳴館で踊ったことがあったとは信じられないほど、二度目の留学後はすっかり落ちつきを見せ、塾設立以後、学生の思い出が語る梅子は禁欲的なまでに奢美をさけた生活を送った。 — 古木宜志子、 と述べ、クエーカー(清貧を尊び、平等主義を旨とする。ブリンマー大学はクエーカーが作った大学であり、盟友であるアナ・ハーツホンは敬虔なクエーカーであった)の梅子への影響を指摘している。
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