紅葉館ゆかりの著名人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 05:58 UTC 版)
讀賣新聞を起した子安峻が創設者の一人であったため、同社の宴会に用いられることも多かった。 尾崎紅葉はペンネームを同料亭からとった。尾崎紅葉とともに硯友社の文人、巖谷小波・川上眉山・小栗風葉らも出入りした。 後にクーデンホーフ光子の名で知られる青山光子は、小学校を終えた後、行儀見習として紅葉館の女中をしていた。 1891年(明治24年)には大槻文彦編纂の国語辞典『言海』の完成祝賀会が開かれた。祝賀会には、伊藤博文(当時枢密院議長)・勝海舟らが出席した(席上で伊藤博文は「もう鹿鳴館の時代ではない」と挨拶している)。【参考文献】池野藤兵衛『料亭 東京芝・紅葉館-紅葉館を巡る人々』1994年10月 砂書房
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