紀元前1020年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:23 UTC 版)
「紀元前11世紀」の記事における「紀元前1020年代」の解説
紀元前1025年頃シンパル・シパクがバビロン第5王朝(海の国第2王朝)を建てる。 紀元前1021年頃サウルがイスラエル王国の王に選ばれる。 周の武王死去。息子の成王が即位し叔父の周公旦らが補佐する(成康の治)。周公旦に対立する三監(管叔鮮・蔡叔度・霍叔処)が殷の紂王の子禄父(武庚)を擁して反乱を起こすが鎮圧される(三監の乱・禄父の乱)。 三監の乱の後、殷の故地は東西に分断され、西側(衛)を周公旦の弟康叔に、東側(宋)を殷の紂王の庶兄微子啓に支配させる。 成王の時代に造られた「何尊(宝鶏市博物館蔵)」には「中国」の名が含まれた最古の銘文が刻まれている。
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