紀元前107年からの戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/21 04:34 UTC 版)
「ユグルタ戦争」の記事における「紀元前107年からの戦争」の解説
紀元前107年、コンスルとなったマリウスがメテッルスに代わってユグルタ戦争の指揮を取るためヌミディアへ到着したとき、ユグルタは隣国マウレタニアの王で自らの義父であったボックス(en)と協力関係にあった。マリウスは幾つかの戦いでユグルタ軍に勝利を収めたが、ユグルタ軍に決定的な打撃を与えるには至らず、メテッルスを苦しめたユグルタによるゲリラ戦術により戦争は再び長期化の様相を示し始めた。 マリウスは戦闘でユグルタを打ち破るのは容易でないと判断し、謀略によってユグルタを倒す方針を決めた。ユグルタの協力者であったボックスに的を絞り、クァエストル(財務官)として従軍していたルキウス・コルネリウス・スッラにボックスによる裏切り工作を行うように指示した。スッラはヌミディア王国の一部領域をマウレタニアへ譲る内容の提案を行い、ボックスをローマ側の協力者に仕立てることに成功した。ボックスは会議の席でユグルタを捕えて、ユグルタをローマへと引き渡した。 ユグルタはローマへ送られて、トゥッリアヌムへ抑留され、紀元前104年に行われたマリウスの凱旋式の際に処刑された。
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