第3次サムニウム戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/16 04:22 UTC 版)
「サムニウム戦争」の記事における「第3次サムニウム戦争」の解説
第2次サムニウム戦争後、ローマの勢力はさらに広がり、サムニウム人に対する布石として多くの植民都市を築き、エトルリア、ウンブリアにも勢力を伸ばした。ローマの圧倒的な勢力拡大に危惧したサムニウム人は独立のために紛争を起こした。これが後に第3次サムニウム戦争と呼ばれ、これを機にサムニウムはローマの影響下勢力として組み込まれる事になる。 戦争は紀元前298年にネアポリスで始まった。北イタリアでエトルリア人、ガリア人と対峙した際にサムニウム人が敵陣にいた事により、ローマはこの動きに気づき警戒する。今までは各部族の連携が取れていなかったためにローマも各個撃破で何とか対応できたのだが、今度はローマは一度にすべての敵を相手にせねばならなかった。 苦戦のローマは南方のサムニウム人相手に勝利をおさめ、多方向の敵に対して1つの戦いから別の戦いへと何とか渡り歩く事ができ、紀元前295年センティヌムの戦いでガリア人と手を組んだサムニウム人相手に勝利を収めた。この戦いの勝利は勤勉なローマ兵士の賜物であった。そして紀元前293年にアクィロニアの戦いで連勝、しかしサムニウム人は紀元前291年に最終的な敗北をするまで抵抗が続いた。 この戦いで、当初はサムニウム側についたギリシア人都市、カンパニア人都市であった各地方都市もローマと同盟関係を結ぶようになり、ローマの覇権は南部のギリシア人植民市およびポー川以北を除いたイタリア半島のほぼ全域に及ぶようになった。
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