第15の哨戒 1944年9月 - 10月
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「シーウルフ (サーゴ級潜水艦)」の記事における「第15の哨戒 1944年9月 - 10月」の解説
9月21日、シーウルフは15回目の哨戒でフィリピン方面に向かった。9月29日にマヌス島に到着、燃料を補給した。ここでシーウルフは、軍需物資と陸軍兵17名乗せてサマール島の東海岸へ向かうよう命令を受けた。10月3日7時56分、シーウルフは北緯02度29分 東経130度18分 / 北緯2.483度 東経130.300度 / 2.483; 130.300のモロタイ島北方の指定航路上でナーワル (USS Narwhal, SS-167) とすれ違い、レーダー識別信号を交換した。その後、シーウルフからの連絡は途絶えた。当時同海域にはシーウルフを含め4隻の友軍潜水艦が航行中であったが、それらは自らの位置を伝える様命じられ、3隻がその位置を伝えた。しかしシーウルフはその命令が伝わらなかった。10月4日、シーウルフは再びその位置を伝える様命じられるが、その命令も伝わらなかった。 12月28日にシーウルフは哨戒から未帰還であると発表され、喪失が推定された。シーウルフは1945年1月20日に除籍された。戦後日本軍の記録を調査したところ、シーウルフの行動予定海域でシーウルフを撃沈したという記録は発見されなかった。シーウルフが記録にない敵の攻撃によって沈められた可能性も考えられたが、最も大きな可能性は、友軍による攻撃によって沈められたものだと考えられた。
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