第15の哨戒 1944年9月 - 10月とは? わかりやすく解説

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第15の哨戒 1944年9月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/06 11:07 UTC 版)

シーウルフ (サーゴ級潜水艦)」の記事における「第15の哨戒 1944年9月 - 10月」の解説

9月21日シーウルフ15回目哨戒フィリピン方面向かった9月29日マヌス島到着燃料補給した。ここでシーウルフは、軍需物資陸軍17乗せてサマール島東海岸へ向かうよう命令受けた10月3日7時56分、シーウルフ北緯0229東経130度18分 / 北緯2.483度 東経130.300度 / 2.483; 130.300のモロタイ島北方指定航路上でナーワル (USS Narwhal, SS-167) とすれ違いレーダー識別信号交換したその後シーウルフからの連絡途絶えた当時海域にはシーウルフ含め4隻の友軍潜水艦航行中であったが、それらは自らの位置伝える様命じられ、3隻がその位置伝えた。しかしシーウルフはその命令が伝わらなかった。10月4日シーウルフは再びその位置伝える様命じられるが、その命令も伝わらなかった。 12月28日シーウルフ哨戒から未帰還であると発表され喪失推定された。シーウルフ1945年1月20日除籍された。戦後日本軍記録調査したところ、シーウルフ行動予定海域シーウルフ撃沈したという記録発見されなかった。シーウルフ記録にない敵の攻撃によって沈められ可能性考えられたが、最も大きな可能性は、友軍による攻撃によって沈められたものだと考えられた。

※この「第15の哨戒 1944年9月 - 10月」の解説は、「シーウルフ (サーゴ級潜水艦)」の解説の一部です。
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