第14代 佐野藤右衛門
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「佐野藤右衛門」の記事における「第14代 佐野藤右衛門」の解説
1874年生まれ。京都府立植物園主任技師・寺崎良策の教示と西本願寺・大谷光瑞の応援をえて、日本全国をめぐり桜の収集にあたる。第14代が存命の明治時代には、近代化政策により都市の水路・街路・大名庭園などが再開発され、サトザクラ群などの多くのサクラの栽培品種が伐採されて絶滅の危機に瀕していた。第14代はそれらの栽培品種が収集されて保存されていた荒川堤からサクラを取り寄せて増殖したり、平野神社、仁和寺、兼六園、東京帝国大学などの全国から珍しいサクラの栽培品種や名木を収集して増殖、多くのサクラの品種の保護と育成に努めた。1934年8月31日死去、61歳。
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