第二次世界大戦の対日・対朝鮮方針
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)
「日朝関係史」の記事における「第二次世界大戦の対日・対朝鮮方針」の解説
第二次世界大戦の連行国は、アメリカ、イギリス、中国国民政府によるカイロ会談を開催して、カイロ宣言を発表した。会談では朝鮮半島の安定を望む蔣介石によって朝鮮独立が求められ、宣言には連合国の対日方針として朝鮮半島の独立が言及された。カイロ宣言の内容は、のちのポツダム宣言に引き継がれた。連合国の中で民族自決と植民地解放を率先していたのはアメリカのみで、植民地を持つイギリス、フランス、オランダや多民族国家のソ連や中国は関心を示さなかった。
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