第二十四阪九とは? わかりやすく解説

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第二十四阪九

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/09 01:49 UTC 版)

第二十四阪九
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本
所有者 阪九フェリー
運用者 阪九フェリー
建造所 神田造船所
姉妹船 第三十二阪九
IMO番号 7518393
経歴
起工 1975年
進水 1975年
竣工 1976年
就航 1976年1月24日
要目
総トン数 6,936 トン
全長 151.5 m
機関方式 ディーゼル
主機関 2基
推進器 2軸
航海速力 21.7ノット
旅客定員 950名
車両搭載数 トラック114台、乗用車38台
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第二十四阪九(だい24はんきゅう)は、阪九フェリーが運航していたフェリー

概要

神田造船所で建造され、1976年1月24日に神戸航路に就航した。

1978年1月、航路開設にあたって泉大津航路に転配された。1983年11月、ニューやまとの就航により再び神戸航路に就航、1991年10月、泉大津航路の2便化により再び泉大津航路に転配された。

1995年12月、フェリーせっつの就航により引退した。

その後、フィリピンネグロスナビゲーション英語版へ売却され、St. Joseph the Workerとして就航した。 2014年にスクラップとして売却され、解体された。

航路

阪九フェリー

設計

事故・インシデント

漁船との衝突

1985年6月24日、3時40分ごろ、小倉港から神戸港へ向かっていた本船は、来島海峡西水道の小島東灯標から南南東に約400mの地点で漁船誠力丸と衝突した[1]

本船は衝突10分前に誠力丸の灯火を視認して、その東側を通航する予定だったが、転流直後で小型貨物船が西行してきたため[2]、右転し汽笛と探照灯で警告信号を行ったが、本船の船首が誠力丸の右舷後部に後方から約60度の角度で衝突した。衝突により本船は、船首に擦過痕を生じ、誠力丸は、右舷船尾部に破口を生じて浸水、舵を損傷して航行不能となり、後に廃船となった。誠力丸の船長および甲板員が重傷を負った[1]

事故原因は、誠力丸が法定灯火を掲示せず、見張り不十分な状態で漁労を行い、航路を航行する他船の進路を避けなかったことで発生したが、本船が見通しの効かない航路内で余裕のある操船ができるよう安全な速力に減速しなかった上、他船の動静確認が不十分であったことも一因とされた[1]

脚注

  1. ^ a b c 門司地方海難審判庁 (5 March 1987). 昭和61年広審第70号 旅客船第二十四阪九漁船誠力丸衝突事件 (PDF) (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. 2016年3月27日閲覧
  2. ^ 来島海峡は時間帯により海流の向きが変わり、順航する場合は中水道、逆航する場合は西水道を通航する「順中逆西」航法が海上交通安全法で義務づけられている。



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