竹島(鬱陵島)での大谷家による連行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 13:52 UTC 版)
「安龍福」の記事における「竹島(鬱陵島)での大谷家による連行」の解説
鳥取藩大谷家の文書によると、1693年(元禄6年)4月、鳥取藩大谷家21人の乗った船が幕府の許可を得て竹島(鬱陵島)に行き、漁労をしている10人ほどの朝鮮人に出会う。その中に日本語が話せる安龍福がおり、尋問される。安龍福が言うには、自分は42歳で朝鮮より3艘42人で来ていると言っている。これを危惧した大谷家の人たちは安龍福と朴於屯(박어둔)の2人を日本に連れていく。 なお当時の朝鮮は鬱陵島の空島政策を実施しており、この島は鮑やワカメなどの宝庫だったと見られる。
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