竜浦の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:34 UTC 版)
予備兵力だった北朝鮮第10師団は、第3師団の渡河攻撃に呼応し、倭館北方で渡河し共同で大邱へ攻撃する命令を受けていた。しかし8月9日から8月10日にかけて行われた第3師団の渡河攻撃は失敗したため予定は変更され、第10師団は大邱南方の高麗付近に移動し準備不足のまま渡河を実施することとなった。 8月12日午前0時、アメリカ第1騎兵師団とアメリカ第24歩兵師団の担当するエリアの中間点で寄せ集め部隊しかいなかった玄風(ヒョンプン)の北で北朝鮮第29連隊が奇襲渡河した。第24歩兵師団は洛東江突出部で激戦を繰り広げている最中であったこともありまともな戦闘は起こらず成功した。北朝鮮軍は玄風に橋頭堡を確保したが、第8軍も第24歩兵師団もこれに直ちに対処する兵力を持っていなかった。玄風からは大邱の西南側に進出しやすく、また洛東江突出部で戦闘を行っている第24歩兵師団の右側背に迫ることも出来たことから、第8軍の憂慮は大きかった。 一方、8月12日午前3時、北朝鮮第25連隊がアメリカ第7騎兵連隊第2大隊が担当する竜浦橋付近で渡河を開始した。この渡河は深い霧に遮られ発見されずたちまち激戦が発生したが、北朝鮮軍の後続兵力は砲迫撃により遮断され撃退された。その後、北朝鮮軍は敵前での昼間渡河を敢行するも、国連軍の航空攻撃と弾幕により惨憺たる結果に終わり失敗した。 8月14日に再度、竜浦橋付近で北朝鮮第25・第27連隊が渡河したがこの攻撃も失敗し、第25・第27連隊は再起不能の損害を受けた。
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