空自 与座岳分屯地へ移管
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:19 UTC 版)
「与座岳・八重瀬岳の米軍基地」の記事における「空自 与座岳分屯地へ移管」の解説
1972年5月15日: 沖縄返還にともない「与座岳航空通信施設」と併称変更され提供開始(使用主目的:航空警戒管制サイト)。9月20日、航空自衛隊から編成準備要員派遣され、10月1日に与座岳分遺隊 (のちの与座岳分屯基地) が編成される。11月2日、3,000 ㎡が自衛隊に移管される。 1973年3月31日: 156,000 ㎡返還。 1974年: OHレーダーの建設に着工 1976年6月30日: 全部返還。 1987年2月5日: 管制施設等30㎡を地位協定2-4-(b)施設として米空軍第18航空団に提供。 航空自衛隊那覇基地与座岳分屯基地 管理基地名: 航空自衛隊那覇基地 使用部隊名: 第56警戒群、米空軍第18航空団第623戦術管制中隊 場所: 糸満市(字与座、字大里)東風平町(字富盛、字世名城) 面 積: 161千㎡ 残りの沖縄に返還された土地は糸満市側は樹園地、東風平町側はゴルフ場となっている。
※この「空自 与座岳分屯地へ移管」の解説は、「与座岳・八重瀬岳の米軍基地」の解説の一部です。
「空自 与座岳分屯地へ移管」を含む「与座岳・八重瀬岳の米軍基地」の記事については、「与座岳・八重瀬岳の米軍基地」の概要を参照ください。
- 空自 与座岳分屯地へ移管のページへのリンク