稲嶺・ラムズフェルド会談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 05:23 UTC 版)
「普天間基地移設問題」の記事における「稲嶺・ラムズフェルド会談」の解説
上述のように続けられてきた協議が、いわゆる自民党政権時の「現行計画」に落ち着くことになったのはこの会談がきっかけである。これは、政治的立場を超えて様々なマスコミ、当事者の著述物で引用された。 再編協議中の2003年11月、ラムズフェルドは沖縄県を訪問し、稲嶺と会談を行った。 この中で、ラムズフェルドは在日米軍の意義や役割について稲嶺に説き、具体的な基地問題の解決策については言及を避け、話を途中で切り上げようとした。稲嶺は退席しかけたラムズフェルドを引き止め、稲嶺が基地負担について説明を始め、引き続き基地の整理縮小を求めた。このやりとりの最中、ラムズフェルドの感情は目に見えて悪化したことなども報じられたが、一方でラムズフェルドは受け入れ国の理解が必要であるとも考える人物であり、屋良朝博によれば会談終了後、側近に「沖縄には海兵隊が何人いるのか」と尋ね、「1万人くらいでどうだ」と、海兵隊地上部隊を含めた沖縄の米軍基地の整理縮小策を考えるように示唆したと言う。
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