秩父神社 (秩父別町)
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秩父神社 | |
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所在地 | 北海道雨竜郡秩父別町4103 |
位置 | 北緯43度45分50.4秒 東経141度57分20.5秒 / 北緯43.764000度 東経141.955694度座標: 北緯43度45分50.4秒 東経141度57分20.5秒 / 北緯43.764000度 東経141.955694度 |
主祭神 | 天照大神・大名己貴大神・少彦名大神・大国魂大神 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 1895年(明治28年)9月1日 |
秩父神社(ちっぷじんじゃ)は、北海道雨竜郡秩父別町に所在する神社。旧社格は村社。
神社の裏手には、日露戦争の戦勝記念に植えられた木々が繁る[1]。
祭神
歴史
1895年(明治28年)9月1日、秩父屯田兵村練兵場の北西の一隅にて、天照大神・大名己貴大神・少彦名大神の3柱が、開拓の祖神として祀られる[2]。
1903年(明治36年)11月3日、1737坪の土地をもって神社の敷地とし、本殿が造営される[2]。翌1904年(明治37年)4月には、拝殿が建てられた[2]。
1907年(明治40年)7月に神社公称の資格を得て無格社となり、同年9月には札幌神社から大国魂大神の分霊を受けて祭神が4柱となる[3]。
1919年(大正8年)に拝殿と幣殿を建築し、続けて第一・第二鳥居を建立する[1]。
1944年(昭和19年)、篤志家からの寄進を受けて、本殿を改築する[1]。
碑
- 開村記念碑
- 1906年(明治39年)4月の北海道二級町村制施行を記念して、同年11月に初代の碑が練兵場跡に建てられた[4]。
- 1927年(昭和2年)、老朽化した碑を改築し、同じ場所に東面して建てた[4]。なお初代の碑は、郷土館に収蔵されている[4]。
- 1977年(昭和52年)、練兵場跡を利用していた高等学校のグラウンド整地に伴い、秩父神社参道入口に移設された[4]。
- 忠魂碑
- 1908年(明治41年)9月、日清戦争と日露戦争の戦没者慰霊のため、秩父神社境内に建てられた[5]。碑名の揮毫は乃木希典による[5]。
- 1975年(昭和50年)8月10日、秩父別町社会福祉協議会によって、老朽化した碑が改築された[5]。なお初代の碑は郷土館に収蔵されているほか、乃木希典の真筆は表装されたうえで町の文化財となっている[5]。
- 早川珍竹林俚謡碑
- 1960年(昭和35年)6月4日、早川珍竹林の俚謡界における功績を称えて、彼の知人や「交竜吟社」の俳友たちが建立した[6]。雨竜川の自然石の表面に、珍竹林の俚謡「雨に叩かれ風にはもまれ花も浮世の一苦労」の自署が刻まれている[6]。
- 珍竹林は本名を早川千代松といい、1886年(明治19年)11月、三重県桑名郡伊曽島村福吉で、早川為三郎の四男として生まれた[7]。1895年(明治28年)5月、長兄の元次郎が屯田兵となったのに従って、秩父別へと移住した[7]。
- 1904年(明治37年)8月、音楽を志して東京に出て、日本音楽学校に学ぶも、中途で日本医学校に移り、卒業後はさらに北里伝染病研究所で医学の腕を磨いた[7]。また文化面では、大和田建樹と大口鯛二に師事して和歌を教わり、黒岩涙香からは俚謡正調を学んだ[7]。
- 1913年(大正2年)、秩父別へと帰って開業医となった[7]。1923年(大正12年)からは北海タイムス紙上で俚謡の選者を務めたものの、昭和時代に入ると戦時態勢による紙面縮小の影響を受け、これを辞した[7]。
- 1968年(昭和43年)9月、秩父別町にて没[7]。
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開村記念碑
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忠魂碑
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早川珍竹林俚謡碑
脚注
参考文献
- 『秩父別町史』秩父別町、1987年3月。
外部リンク
- 秩父神社_(秩父別町)のページへのリンク