秩父の人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:06 UTC 版)
飯塚森蔵 秩父事件では困民党の乙大隊長を務める。田代栄助や井上伝蔵らと農民軍を指揮するが、孤立無援の情勢下と政府軍の攻勢が強まる中で消息を絶つ。作中では、事件後に「後藤平吉」の変名を名乗って北海道へ渡り、財部数馬と共に金鉱探索に従事していたが、加納との再会後は徳弘の下で農業に携わる。 落合寅市 秩父事件では困民党の乙副大隊長を務める。一本気な性格で、飯塚らの離脱後も加納ら残存兵力を率いて再度の進軍を試みるが敗走し、事件後は自由党総裁・板垣退助の下に身を寄せていた。1885年、大阪事件に関与した容疑で逮捕、投獄された。 田代栄助 困民党の総理。飯塚と同様に武装蜂起の延期を模索していたが、主戦派に押し切られる形で蜂起を決意。政府軍の攻勢が強まる中で逃走を図るが、潜伏中に捕らえられる。1885年2月に死刑判決を受け、同年5月に熊谷監獄で処刑された。
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