私立沖縄盲学校の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/03 13:10 UTC 版)
「沖縄県立盲聾唖学校」の記事における「私立沖縄盲学校の設立」の解説
沖縄県における本格的な視覚障害者教育の始まりとされるのは、宮崎県出身の高橋福治の来県である。高橋は沖縄に盲学校がないことを知ると、1920年(大正9年)に沖縄に渡り、視覚障害児童3人を集めて塾を開いた。翌年には「私立訓盲院」、さらに1924年には文部省の認可を受けて「私立沖縄盲学校」と改めた。この翌年の在籍生徒数は15人であった。 同年に施行された盲学校及聾唖学校令は各道府県に盲聾唖学校の設置を義務付けていたが、当時の沖縄県には公立の盲聾唖学校を運営する財政的余裕はなく、当面はいくらかの公的補助金や一般からの寄付金で運営されていた私立沖縄盲学校に頼るしかなかった。 それでも高橋は1928年(昭和3年)に伊江島での通信指導を始めたり、1933年(昭和8年)には八重山分校を設立したりするなど、視覚障害者教育の普及に努めた。私立沖縄盲学校は、1942年(昭和17年)には内務省より按摩・マッサージ免許取得指定学校の認可を受け、生徒は卒業と同時に免許が取得できるようになった。
※この「私立沖縄盲学校の設立」の解説は、「沖縄県立盲聾唖学校」の解説の一部です。
「私立沖縄盲学校の設立」を含む「沖縄県立盲聾唖学校」の記事については、「沖縄県立盲聾唖学校」の概要を参照ください。
- 私立沖縄盲学校の設立のページへのリンク