神積寺とは? わかりやすく解説

神積寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/06 02:01 UTC 版)

神積寺
本堂
所在地 兵庫県神崎郡福崎町東田原1891
位置 北緯34度57分36.5秒 東経134度46分17.5秒 / 北緯34.960139度 東経134.771528度 / 34.960139; 134.771528座標: 北緯34度57分36.5秒 東経134度46分17.5秒 / 北緯34.960139度 東経134.771528度 / 34.960139; 134.771528
山号 妙徳山
宗派 天台宗
本尊 薬師如来(重要文化財、秘仏)
創建年 正暦2年(991年
開基 慶芳内供
一条天皇(勅願)
正式名 妙徳山神積寺
別称 田原文殊
札所等 西国薬師四十九霊場第24番
播州薬師霊場第12番
文化財 木造薬師如来坐像(重要文化財)
阿弥陀種子板碑(県指定文化財)
公式サイト 天台宗 妙徳山神積寺(公式ホームページ)
法人番号 7140005014743
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神積寺(じんしゃくじ)は、兵庫県神崎郡福崎町東田原にある天台宗の寺院。播磨天台六山の一つとされる。通称は「田原文殊」。

歴史

寺伝によれば、一条天皇勅願寺として991年正暦2年)に開創されたという。開基は良源(慈恵大師)の高弟である慶芳内供(大納言藤原範郷の子)。

三条天皇の勅願所となり皇子である覚照が帰依したことで七堂伽藍と五十二院を数える大寺院として隆盛し、さらに近衛天皇の宣示により播磨天台六山の1つに数えられる。しかし延慶2年(1309年)の火災により全山焼失。

現在の堂宇は天正15年(1588年)に有馬法師の寄進により再建されたものである。 1870年明治3年)まで、御朱印地として毎年文殊会式に勅使下向がなされていた。

文化財

重要文化財

  • 木造薬師如来坐像(明治34年8月4日指定) - 鎌倉時代[1]、像高88.5cm、60年に一度開帳される秘仏。本堂安置、脇侍に文殊菩薩と毘沙門天。

兵庫県指定文化財

福崎町指定文化財

札所

祭事

交通アクセス

周辺情報

脚注

  1. ^ 「国指定文化財一覧」(兵庫県文化財課)43頁

参考文献

  • 現地案内板(2006年5月5日閲覧)

関連項目

外部リンク





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