玉田寺とは? わかりやすく解説

玉田寺

読み方:ギョクデンジ(gyokudenji)

宗派 真言宗豊山派

所在 群馬県高崎市

本尊 大日如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

玉田寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 07:12 UTC 版)

玉田寺
所在地 兵庫県美方郡新温泉町七釜1436
位置 北緯35度36分39.3秒 東経134度28分35.8秒 / 北緯35.610917度 東経134.476611度 / 35.610917; 134.476611座標: 北緯35度36分39.3秒 東経134度28分35.8秒 / 北緯35.610917度 東経134.476611度 / 35.610917; 134.476611
山号 退耕山
宗派 臨済宗天龍寺派
本尊 地蔵菩薩
創建年 応永年間(1394年-1428年
文化財 宝篋印塔県指定)、白隠彗鶴墨蹟(町指定)
法人番号 2140005012958
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玉田寺(ぎょくでんじ)は、兵庫県美方郡新温泉町七釜温泉にある臨済宗天龍寺派仏教寺院玉田禅寺ともいい、山号は退耕山。本尊は地蔵菩薩

概要

応永年間(1394年-1428年)に天龍寺開山夢窓疎石法孫にあたる南溟が自らの隠棲所として開創した。当初は退耕庵と称していたものを、1648年頃に貞山が現在の山号・寺号へと改めた。江戸時代後期、元美濃国の部将の丸毛氏が岩を削って境内を拡げ、安永6年(1777年)に堂宇を建立した。現在の本堂はこの当時の建物である。その後、昭和15年(1940年)に大改修が行われて現在に至る。

文化財

  • 宝篋印塔 - 境内、山門脇に建つ石塔。兵庫県指定文化財[1]正和3年(1314年)の刻銘があり、宝篋印塔としては兵庫県下最古級とされる。なお、元からこの地にあったものではなく、大阪府豊能郡東能勢村切畑(現・同郡豊能町)の廃寺にあったものを、浜坂町(現・新温泉町)出身の実業家・細見良(号古香庵)が1945年に入手し、1975年に郷里の玉田寺に寄進したものである。
  • 玉田寺庭園 - 本堂裏にある、江戸時代中期作と伝わる築山式枯山水庭園。

行事

  • 8月23日 - 七釜温泉・灯火の風景

境内

  • 山門
  • 本堂(築山式枯山水庭、前庭)
  • 庫裏
  • 鐘楼
  • 光明殿
  • 七地蔵(外壁内)

交通アクセス

周辺

参考文献

  • 『兵庫県大百科事典』(「玉田寺宝篋印塔」の項)、神戸新聞出版センター、1983

脚注

  1. ^ 県指定文化財(建造物)石造宝篋印塔” (PDF) (日本語). 兵庫県. p. 68. 2025年6月9日閲覧。

外部リンク

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