神武天皇烽火伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:36 UTC 版)
この山には、東征の際に神武天皇が狼煙を挙げたという伝説が伝わっている。古事記、日本書紀には、この伝説に関する記述が見られない為、詳細は定かではないが、地域に伝わる話によると、概ね次のようである。 神武東征の頃の山本には、安芸津彦命という、安芸の国の首長がいた。安芸津彦命が、神武の軍が到着したという知らせを受けると、五日市の倉重まで迎えに行った。神武は「ああ、安芸津彦命が来た」と喜んで、地御前に着いた。そして、安芸津彦命の案内で、火山の頂上に登り、大きな石を四方から集め、その中へたくさんの木を積んで火を焚いた。これは、四方の人たちに、「天皇は、元気でここに登っているぞ」と、知らせる意味があった。これが終わると、天皇は下山して、休山で休んだ。そして、山本の出口から船に乗り、祇園の帆立に出ると、帆を張って進み、対岸の戸坂に上陸した。そこから中山峠を越えて、現在の安芸郡府中町の埃宮に入ったといわれている。 なお、休山、出口、帆立は、現在も地名として残っている。 安佐南区伴中央にある岡崎神社を氏神社とする三城田神楽団は、この伝説を題材とする演目「火山」を創作している
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