神武東征と建国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 13:49 UTC 版)
磐余彦尊は日向国にあったが、甲寅年、45歳のときに饒速日(物部氏の遠祖)が東方の美しい国に天下った話を聞いた。磐余彦尊は、自らの兄や子に東へ遷ろうとすすめてその地(奈良盆地)へ東征(神武東征)を開始した。速吸の門では、国神である珍彦(倭国造の祖)に出会い、彼に椎根津彦という名を与えて道案内にした。筑紫国菟狭の一柱騰宮、同国崗水門を経て、安芸国の埃宮、吉備国の高島宮に着いた。磐余彦は大和の指導者長髄彦と戦い、饒速日命はその主君であった長髄彦を殺して帰順した。辛酉年、磐余彦尊は橿原宮ではじめて天皇位につき(神武天皇)、「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と称された。伝承上、これが朝廷および皇室の起源で、日本の建国とされる。
※この「神武東征と建国」の解説は、「ヤマト王権」の解説の一部です。
「神武東征と建国」を含む「ヤマト王権」の記事については、「ヤマト王権」の概要を参照ください。
- 神武東征と建国のページへのリンク