神楽台(向町組)
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1840年(天保11年)二之町中組より屋台を譲り受けたのが始まりである。これを黄鶴台と名づけ、その後朱雀台と改名したが、間もなく廃台とした。1883年(明治6年)高山一本杉白山神社より神楽台を譲受け神楽台組を創設、神楽囃子、獅子舞と共に奉仕するようになる。1889年(明治22年)屋台の破損甚だしく、高山の工匠、村山英縄、古川の住人、西野彦次郎、同彫師蜂屋理八等の手により改修する。1925年(大正14年)より解体修理し現在に至る。この屋台は大きな御所車2輪と後部に内輪との3輪である。上段中央に枠をたて金色大太鼓を吊る。枠上に二羽の大鳳凰後面中段より上段にかけて神旗二本を立てる。烏帽子、直垂姿の5人衆が神楽囃子を奏し、獅子舞を行うのはこの屋台だけである。4月19日の午前に気多若宮神社より御分霊を賜る。また屋台主事を担当せず、屋台曳揃え時には常に先頭を行く。
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