神功皇后の摂政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 07:42 UTC 版)
『日本書紀』によると、仲哀天皇の崩御後、世継ぎの応神天皇が生まれたばかりであり、その母の神功皇后が摂政となったという。ここであえて摂政という用語を使い「称制」とはいっていない。むろん伝説時代のことであるので当時に摂政だの称制だのという漢文の用語が使われたわけもなく、『古事記』では摂政とも称制ともいってはいない。が、『日本書紀』が編纂にあたって天智称制・持統称制にあわせて用語を統一しなかったのはどういうわけであろうか。その理由は、「仲哀天皇がいまだ崩御していないという建前をとったためその代理だから」という意味か、または「特に理由はなく、称制も広義の摂政の中の一種という建前でただ慣習的に称制という言葉が使われなかっただけ」というわけなのか、あるいは「応神天皇は胎中天皇と称されたように胎児の頃からすでに正式な天皇であってその代理」という主旨なのか、いずれの説をとっても用語に矛盾が生じ、真相(『日本書紀』編纂者の意図)はよくわからない。
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