神か精霊(力)か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 17:13 UTC 版)
現在はミシャグジを「神」として見るのが一般的であるが、細田貴助(2003年)は「精霊と人格神(神)とを、古くの日本人は区別していた。ミサクジを神とはしなかったであろう」と主張している。 これに対して石埜三千穂は、上社の神事においてミシャグジに憑かれた人が託宣する(神意を示す)ことがまずなく、一年の間に上社に奉仕する郷村を決める御占神事もあくまでも諏訪明神の託宣であって、祭事中に降ろされるミシャグジはそのために作用しているに過ぎないと指摘している。このことからミシャグジは本来、抽象的な「諏訪大神のために働く純粋な力」(すなわち自然エネルギーそのもの)と理解されていたという説を石埜が提唱している。北村皆雄と田中基(2018年)もミシャグジをマナ(実体性のない、人や物に付着する神秘的な力)や折口信夫の言う「外来魂」と例えている。寺田鎮子・鷲尾徹太(2010年)もミシャグジの本質を「生命力を励起するパワーのようなもの」、「空からやってくる(…)大気(空気・空)に充満するエネルギー」としている。
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